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朗読のスピ-ド感、これくらいが聞きよい。嬉しいわ。ありがとう(#^.^#)
前に読んでいるが、今回はパソコンで地図を参照しながらじっくり聴いた。谷崎の雅たと言うかしかし同時にしっとりとした趣きのある世界を、鈴のような声で速く話されるとたまらなく心地よい。谷崎こそノーベル賞に相応しい作品を残していると思ってきたが、《シャボン 朗読横丁》の朗読は谷崎の新しいファンを開拓することだろう。『君なくてあしかりけりと思うにも...』等の引用を調べ、さらに余韻を愉しもう。
「中秋の名月」にちなんで、白居易の詩と谷崎の「蘆刈」の朗読をありがとうございました。朗読の音調変化などのおかげで、句読点の極めて少ない「蘆刈」の長い文章を、だれがどこまで話しているのかがよくわかり、理解に助かります。中国語・中国文学専攻であるらしいシャボンさんの漢詩の読みは素晴らしいですね。とは言っても、「蘆刈」の前半と後半の続き具合がよくわかりません。また、冒頭の和歌に「...あしかりけり...難波...」とあるのですから、能の「蘆刈」をも匂わせているのでしょうが、それとの関連もはっきりしません。今後の課題です。それはともかく、今年はフランスの我が家でも美しい「中秋の名月」をめでることができました。しかし、(民族と地域が変われば、)太陰暦の8月15日のこの時期は、ユダヤ教徒にとっては、新年の祭りの2週間後の「仮庵の祭り」がはじまり、夜空に広がる月と星々の輝きは、中国人や日本人とは違った情緒・情動を引き起こすようです。
中秋の名月は、我が家からは曇っていて少し顔を出した程度でした。月は千々にものを思わせますね。おっしゃる通り『蘆刈』は前後のつながりがわかりにくいですが、私はこのお話に「月夜幻想」というサブタイトルをつけたいと思いました。大宮人から江口の遊女へと空想が広がっていくうちに、ほろ酔い気分の「私」が葦の生い茂る川辺でみた一場のまぼろし…。お遊さまは当時谷崎潤一郎が心を寄せていた人妻(松子夫人)のことなのは明白ですから、冒頭の「大和物語」の和歌もそれを頭において読むと、松子夫人への恋慕の歌かもしれないと思います。君なくて悪しかりけりと思ふ身はいとど難波の浦ぞ住み憂きあなたがいないこの難波での暮らしは堪え難い…「おかもとに住んでいた」とありますから、まさしく浪速にお住まいだったわけで、そうすると、これって松子さんへの恋文…ではないかと、思うのですが、いかがでしょうか。勝手な感想です😊※中国文学専攻ではないのです、じつは。
失礼いたしました。中国語・中国文学専攻ではなかったのですか。しかし、大学での語学選択で、中国語も選択なされたのでしょうね。何年か前のシャボンさんのブログで、アジア出身の友人と中国語で話していた、という一節を読んだ際、深い印象を受けたことがあります。
@@takemasaino504 様そうですね😅紛らわしいことを書いてますね。専攻は日本文学ですが、中国語も勉強しました。仲麻呂の見た月を見に西安まで行きました。もう遠い遠い昔のことです😊
一字一句にも拘って、調べながら、結局、青空文庫で読み直した。『大和物語』の百四十八段にこの歌物語がある、謡曲『 蘆刈 』 は世阿彌の作と云われているが「大和物語」の内容から結末の変更をし夫婦愛をテーマにした能に仕上げている・・・。谷崎の文章はいつもわかりやすいのだが、微に入り細に入りの説明が加わって重層的になっている。
♡
朗読のスピ-ド感、これくらいが聞きよい。嬉しいわ。ありがとう(#^.^#)
前に読んでいるが、今回はパソコンで地図を参照しながらじっくり聴いた。谷崎の雅たと言うかしかし同時にしっとりとした趣きのある世界を、鈴のような声で速く話されるとたまらなく心地よい。谷崎こそノーベル賞に相応しい作品を残していると思ってきたが、《シャボン 朗読横丁》の朗読は谷崎の新しいファンを開拓することだろう。『君なくてあしかりけりと思うにも...』等の引用を調べ、さらに余韻を愉しもう。
「中秋の名月」にちなんで、白居易の詩と谷崎の「蘆刈」の朗読をありがとうございました。朗読の音調変化などのおかげで、句読点の極めて少ない「蘆刈」の長い文章を、だれがどこまで話しているのかがよくわかり、理解に助かります。中国語・中国文学専攻であるらしいシャボンさんの漢詩の読みは素晴らしいですね。
とは言っても、「蘆刈」の前半と後半の続き具合がよくわかりません。また、冒頭の和歌に「...あしかりけり...難波...」とあるのですから、能の「蘆刈」をも匂わせているのでしょうが、それとの関連もはっきりしません。今後の課題です。
それはともかく、今年はフランスの我が家でも美しい「中秋の名月」をめでることができました。しかし、(民族と地域が変われば、)太陰暦の8月15日のこの時期は、ユダヤ教徒にとっては、新年の祭りの2週間後の「仮庵の祭り」がはじまり、夜空に広がる月と星々の輝きは、中国人や日本人とは違った情緒・情動を引き起こすようです。
中秋の名月は、我が家からは曇っていて少し顔を出した程度でした。
月は千々にものを思わせますね。
おっしゃる通り『蘆刈』は前後のつながりがわかりにくいですが、私はこのお話に「月夜幻想」というサブタイトルをつけたいと思いました。
大宮人から江口の遊女へと空想が広がっていくうちに、ほろ酔い気分の「私」が葦の生い茂る川辺でみた一場のまぼろし…。
お遊さまは当時谷崎潤一郎が心を寄せていた人妻(松子夫人)のことなのは明白ですから、冒頭の「大和物語」の和歌もそれを頭において読むと、松子夫人への恋慕の歌かもしれないと思います。
君なくて悪しかりけりと思ふ身はいとど難波の浦ぞ住み憂き
あなたがいないこの難波での暮らしは堪え難い…「おかもとに住んでいた」とありますから、まさしく浪速にお住まいだったわけで、そうすると、これって松子さんへの恋文…ではないかと、思うのですが、いかがでしょうか。
勝手な感想です😊
※中国文学専攻ではないのです、じつは。
失礼いたしました。中国語・中国文学専攻ではなかったのですか。しかし、大学での語学選択で、中国語も選択なされたのでしょうね。何年か前のシャボンさんのブログで、アジア出身の友人と中国語で話していた、という一節を読んだ際、深い印象を受けたことがあります。
@@takemasaino504 様
そうですね😅紛らわしいことを書いてますね。
専攻は日本文学ですが、中国語も勉強しました。仲麻呂の見た月を見に西安まで行きました。もう遠い遠い昔のことです😊
一字一句にも拘って、調べながら、結局、青空文庫で読み直した。『大和物語』の百四十八段にこの歌物語がある、謡曲『 蘆刈 』 は世阿彌の作と云われているが「大和物語」の内容から結末の変更をし夫婦愛をテーマにした能に仕上げている・・・。谷崎の文章はいつもわかりやすいのだが、微に入り細に入りの説明が加わって重層的になっている。
♡